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教員による図書紹介(村上ゼミ)


藤原辰史『給食の歴史』(岩波書店、2018年)

みなさんは、これまでに給食に苦しんだことはありませんか。食べるのが遅いこと、あるいは好き嫌いがあることを教員に叱責され、休み時間や放課後に教室に残された苦い思い出はありませんか。かく言う私にも嫌な思い出があります。今回紹介する本は、身近にはありながら、その歴史を考えることがほとんどないと思われる、給食に光をあてた『給食の歴史』という本です。


本書は、年号や人名の記憶に労力を費やすこととは異なる歴史の面白さを教えてくれる労作です。ここでは2つの点に言及しておきましょう。

ひとつは給食という食文化がもつ奥深さです。本書は、給食がもつ3つの側面、つまり大人による子どもへの権力行使、大人に関わる経済的利害の存在、子どもの成長を助け、場合によっては命をつなぐ機能をおさえたうえで、「給食の可能性のために書かれる」〔まえがきより〕ものです。

いまひとつは、研究主題との向き合い方です。文献から得られる知見のみならず、給食現場の声にも耳を傾ける著者の真摯な姿勢には、学生のみなさんにとって学ぶところが多いはずです。実際「ヨーロッパ史文献講読1」において本書を紹介した際には、受講生とともに給食について考える場を共有することができました。少しでも関心を持った人は、是非一度手に取って読んでみてください。

教員による図書紹介(清水ゼミ)

清水です。

かなり空いてしまいましたが、ゼミ毎の書籍紹介です。
今回は、清水ゼミで扱った書籍の中から一冊を紹介します。

ゼミの性格上、中国に関するものを時々読みます。

私から「これを読むぞ」というのではなく、学生の希望を聞いた上で、それに合ったものを私が選んでいます。今年は、こちらを選びました。


江戸後期の作家、上田秋成(1734-1809)による怪異小説集です。
江戸後期に流行した伝奇小説は、「読本(よみほん)」とも呼ばれます。

『雨月物語』が収録する小説の舞台はもちろん日本ですが、もともとは中国の小説から取材したものが多いのです。完全なオリジナルではないものの、その文章を読んでいくと、秋成の鋭く豊かな創意が感じられます。

『雨月物語』に限らず、日本人作家による物語の中には中国の小説を翻案したものが多くあります。日本人による翻案の面白さ、独創性によって、外国の作品が日本でも読まれていったのです。このように、地域や時代を超えた「読み手の継承」を念頭に置きながら作品を読むことは大切です。

ゼミでは、『雨月物語』の中から「吉備津の釜」を選んで読みました(ご当地もの?) 浮気性の夫に裏切られた妻の恨みが死霊となって夫や浮気相手に襲いかかります。映像もなにもないのですが、その結末にはぞっとします。

興味のある方は、本書を手に取って想像力をかき立てられるもよし、映像を楽しむもよし(『雨月物語』は映像化もされています。Youtubeで検索してみてください。色々と出てきます)。秋成の怪異ワールドを味わってみてください。


教員による図書紹介(脇ゼミ)


ブログ担当Sです。毎回教員が一つのテーマに沿って本を紹介するこのコーナーですが、今回からしばらくは趣向を変え、「ゼミ」単位での図書紹介をしていこうと思います。毎回一つの「ゼミ」が担当する予定なので、一年くらいはかかるかもしれません。「ゼミ」ですから、教員が書いても良し、学生が書いても良しなのです。

第一回目は、日本語学研究ゼミの回です。執筆者は脇先生です。では、どうぞ。
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 脇ゼミでは「文化演習Ⅰ」(3年生前期)で、コミュニケーション研究の入門本を読書会形式で読むことにしています。読書会形式というのは、章ごとに担当者を決めて資料作成→報告→全員で議論というものです。
 で、今年度はこの本。
池田理知子.2015.『日常から考えるコミュニケーション学―メディアを通して学ぶ』ナカニシヤ出版
私のゼミは「日本語学研究ゼミ」となっていますが、実際はもう少し範囲が広く、日本語を中心としたコミュニケーション研究を軸としています。だから上記の本、というわけなのですが、そこにはもうひとつの理由があります。

 それは、ゼミ学生(特に3年生前期)の関心と可能性は多様なので、最初から“○○学”という狭い枠に囚われてほしくないと考えているからです。「コミュニケーション」を真ん中におけば、たいていの事柄は射程に収まります。「コミュニケーション」を切り口にして、まずは学術的な視点で〈日常〉〈社会〉〈人間〉を俯瞰する。個別の問題設定(卒論のテーマ)はその次です。

 そういう観点からするとこの本は実によく考えられていて、「コミュニケーション」は哲学的な問題(例:時間や権力)にも社会問題(公害や共生)にもつながる、ということが実感できます。しかも基本的な概念や人名が無理なく織り込まれていて、今後研究テーマを絞り込もうとする学生たちにはピッタリです。コミュニケーション研究の入門本はここ10年で続々と出版されましたが、その中でもかなり“使える”ものだと思います。

 ちなみに、過去の「文化演習Ⅰ」で読んだ本は以下の通り。どれもよい本ですよ。

井上俊・船津衛編.2005.『自己と他者の社会学』有斐閣アルマ
辻大介・是永論・関谷直也.2014.『コミュニケーション論をつかむ』有斐閣
板場良久・池田理知子編.2014.『よくわかるコミュニケーション学』ミネルヴァ書房

【不定期企画】教員による図書紹介(4)2017年4月

「月1企画」と言いながら、「月1」の看板が次第に揺らいできましたが…それでも、間隔が空きすぎないよう今後も続けていきます。年度初めを飾るテーマは「歴史」です。

脇 先生

学問をするうえで、その領域の歴史、すなわち学史(研究史)を知ることは非常に重要です。研究はその新規性を問われるものですが、自分勝手に何かを「発見」するわけにはいきません。もはや、りんごを落として「重力を発見したぞ!」なんて言えないわけです(検証にはいくらかの意味があるとしても)。つまり、〈今〉と〈これから〉において何が「新しい」のかは、学史という〈過去〉から見えてくるのです。
加賀野井秀一『20世紀言語学入門』、講談社、1995

富永健一『社会学講義』、中央公論社、1995
私が二股をかけている言語学と社会学から一冊ずつ。いずれも学史に沿った入門本であり、まさに王道ともいうべき内容です。特に『社会学講義』は、今読むと富永社会学の“色”も出ていて(読んだ当時はわからなかった…)、昨今の軽薄な新書とは一線を画す名著と言えるでしょう。

二冊とも20年前(!)の本ですし、新書という制約もあって、当該領域のすべて&近年の状況を網羅できているわけではありません。ただ、そこは読み手が補えばよい話。読書にしても授業にしても、学びのきっかけでしかないのです。

古川先生

磯田道史『江戸の備忘録』、文春文庫、2013
『武士の家計簿』の作者が、江戸時代の興味ある事柄をわかりやすく書いていている歴史随筆集です。

山東先生

アメリカ英語、とひと口にいってもさまざまな種類があります。イギリスでは使われなくなったがアメリカで生き残った語、元々別の意味で使われていたがアメリカで新たな意味を獲得した語、アメリカの国土に合わせてつくられたアメリカ起源の新しい語、既存の単語を結合させてつくられた語、外国語から借用された語、などです。本国で使われていた英語が、徐々にアメリカらしさを増していった要因は何なのでしょうか。
Richard Bailey(著), Speaking American: A History of English in the United States, Oxford University Press, 2015
この本は、アメリカ英語の歴史を17世紀から半世紀ごとに9つの時期に分け、各地域でどのような語が使用され始めたかについて概説しています。普段皆さんが何気なく使っている英語の意外な歴史が見えてくるかもしれませんよ。

山川先生

今回は「歴史」がテーマですから、表題に「歴史」がつく書籍を紹介します。ここではヘロドトス、松平千秋訳『歴史』上・中・下(岩波文庫)を取り上げます。

古代ギリシアの歴史家ヘロドトスは、紀元前5世紀にペルシア帝国とアテナイを中心としたギリシアの諸ポリス連合とが衝突した戦争を叙述しました。その書の冒頭で「本書はハリカルナッソス出身のヘロドトスが、人間界の出来事が時の移ろいとともに忘れさられ、ギリシア人やバルバロイ(異邦人ここではペルシア人)の果たした偉大な驚嘆すべき事績の数々—とりわけ両者がいかなる原因から戦い交えるに至ったかの事情—も、やがて世の人に知られなくなるのを恐れて、自ら研究調査したところを書き述べたものである」と自らを名乗り、そして自分自身が実際に出かけて研究調査ヒストリアしたことを記述しますが、その真偽のほどは読者の判断に委ねています。
ヘロドトス(著)、松平千秋(訳)『歴史』上・中・下、岩波文庫、1971
全9巻のうち、最初の4巻はペルシアの拡大とその周辺地域の地誌・風土、風俗・習慣を記述し、当時の人々の生活に関わる貴重な情報を提供しています。特に第2巻はエジプトについて叙述していますが、ミイラ作りに至るまで興味深い話がたくさん盛り込まれています。第5巻で、ペルシア戦争の原因となったイオニア反乱が記述され、次いで第6巻でマラトンの戦い、第7巻でスパルタ王レオニダスが率いるスパルタ精鋭軍が玉砕したテルモピュライの戦い、第8巻でペルシア軍を退却させるキッカケとなったサラミスの海戦、第9巻でプラタイアイの戦い、ミュカレの戦いでペルシア軍が敗走するまでを時系列で叙述しますが、読者は知らず知らずに仕入れた情報を駆使し、奇想天外なエピソードを織り込んだヘロドトス・ワールドに引き込まれていきます。

柳川先生

① ストレートに「歴史」に関連する本を紹介しようとすると、あまりに多いので迷ってしまって断念

② 歴史関係の本がズラッと並ぶのであれば、(これまでにも歴史に関連するものを選んでいるので)ここは一つ違った切り口で…という発想の転換

③ 今年度卒業する学生が卒業論文のテーマに選んでいたので、読み返してみたくなった

以上の3点から。さすがに「タイトルが西暦」だからという訳ではなく、主人公の仕事が「歴史を改竄すること」という点で「歴史」に関連する本。 
ジョージ・オーウェル(著)、高橋和久(訳)「1984年」早川書房、2009
歴史を支配者の都合の良いように改竄する、あるいは過去の事物を顧みることのない社会、というのはディストピアを描いた作品の定番設定の一つかもしれない(少なくとも、私の中の「世界3大ディストピア小説」には共通している)。

作中では、遠い過去だけではなく、これから「歴史」になる日々の情報もせっせと改竄され続けているので、個人の記憶も信用できない。歴史にせよ現在の情報にせよ、支配者の都合の良いように変えられる世界というのは恐ろしい。とは言え、歴史も今日のニュースも、「誰か」によって伝えられていることは現実の世界でも変わりない。

歴史の本ではないものの、歴史や記録について考えさせるフィクションだと思う。

清水

私のゼミでは、中国茶(や日本の茶道)を卒論テーマに取り上げる学生がいます(数年に一人の割合で)。そうなると、あたらねばならないのが「茶の歴史」。そして、茶の歴史を辿っていくと必ず出会うのが、茶聖と謳われた陸羽(りくう)の『茶経』です。
陸羽(著)、布目 潮フウ(さんずい+風)(訳)『茶経 全訳注』、講談社、2012
本書を読むと、茶は単なる飲料ではなかったことが実に細やかな視点から語られています。わかりやすいものを紹介すると、例えば茶の史料集とも言える「七之事」には、茶の効用について、「人に力をつけ、志を悦(よろこば)しくさせる」とあります。身心の健康増進にもってこい、というわけです。

昔、北京に住んでいたときに通っていた茶店ではこんなことを言われました。「お茶でも酔うんだよ。」 蓋碗を傾けつつ、お茶に酔いながら(本当にフラフラしてくる)、茶の真髄に触れるのも良いものだと思います。

【不定期企画】 教員による図書紹介(3)2016年12月

清水です。ほぼ月1企画となっている「教員による図書紹介」第3回は、学生の声に応えてみました。お題は、「趣味の一冊」です。趣味も趣味に対する考え方もさまざま。

◆脇先生

親譲りの無趣味で、子どものときから夢中になる「何か」があまりありませんでした。そんな僕にも寝食を忘れ、いや忘れませんが、かなりハマったものがあります。ひとつは歴史、もうひとつは音楽です。小学生~高校生の自分は重度の歴史オタクでした。が、時は移ろうもの。今でも好きではありますが、趣味と呼べるほどではないのです。

音楽は趣味です。間違いなく。大学生のときは、アコギをジャカジャカ弾いて隣から“壁ドン”を頂戴したことも。隣の人、ごめんなさい。というわけで、「趣味の一冊」というお題に応えるならこれかな、と。
rockin'on 2017年 01 月号
『ROCKIN’ON JAPAN』2017年1月
正直なところ、熱心な読者とは言えないと思います。学生時代、毎月立ち読みはしていましたが、買ったのはほぼゼロ。本屋さん、ごめんなさい。けれど、渋谷陽一の、自分勝手だけど熱量の多い記事は、僕のサブカルへの興味を開いたきっかけです。自分の解釈をより大きな文脈に乗せて考えるという「快感」を教えてもらいました。

その「快感」が研究で味わえるようになったからか、今はまったく読んでいません。音楽は自分のために聞くもの。ようやく純粋な趣味になったのだと思います。

◆古川先生
『東京のパリ案内―パリジェンヌ気分でめぐる都内50スポット』六耀社、2010年
フランスの日常的な文化に興味があり、また、専門研究の1つにフランス民法があるので、心はフランスに向かっています。このところ、時間と費用の関係でなかなかフランスに行く機会を持てなく、この本で日本のパリを楽しんでいます。まだ、どこも行ってはいませんが、この本が傍にあるだけで幸せです。

◆山東先生

Jonathan Maberry著,The X-Files: Trust No One,Idea & Design Works
私がアメリカに留学したのは1993年から94年にかけてですが、ちょうど93年秋から放映が始まったのがこのX-ファイルです。当時は英語の勉強も兼ねて、毎週寮のリビングでテレビの前に陣取っていましたが、ハマりすぎた結果?とうとう夢の中で、モルダー&スカリーと共演を果たしました(笑)

ペーパーバックだけでは物足りず、オフィシャルガイドブック・ マガジン・マップ、スクリーンプレイ、攻略本、CDなど、色々取り揃えています。興味のある方はぜひ研究室までどうぞ。

◆原先生

私は「趣味」という言葉が昔からどうも胡散くさくて気に入らない。真剣ではなくそこそこでいい、気散じの対象というイメージがつきまとっているからだ。仕事の補完物であり、どうでもよい退屈しのぎという意味での趣味など持ちたくもないし、「無趣味」で大いに結構と言いたい。

そもそも労働とその余暇にする趣味という近代ブルジョワ社会が体制維持のために都合よく生み出した二分法にどうしてこちらが従わなくてはならないのだろうか。仕事が苦痛としか感じられないのは不幸であり、疎外された労働を糊塗するためにあてがわれる余暇での趣味は、おのずから負の刻印を帯びざるをえない。それも無類の読書好きであり、それが昂じて仕事との見境がつかないほどになっている人文学研究者であればなおさらのこと、趣味と読書を同類に並べるには違和感を覚えざるを得ない。趣味などという甘い言葉ではなく、好奇心・興味をとことん突き詰めていくことこそ、人文学の醍醐味なのだから。
水木 しげる 『妖怪になりたい』 、河出文庫、2003
趣味と仕事という二分法に囚われない生き方を学者としてではなく、漫画家として実践したのが他ならぬ水木さんであり、自分の根っからの「奇妙なことへの興味」に趣味としてではなく、真剣に取り組み仕事へと昇華させた希有な例であろう。私も生来いろいろなことに興味をもっているが、それを自分の仕事と全く関係のない遊びや趣味としてほどほどに追求するのではなく、仕事と同程度かあるいはそれ以上に真剣に追求して相互に作用を及ぼしあうのが良いと考えている。

◆青木先生
アガサ・クリスティ『茶色の服を着た男』、東京創元社、1967
私が学生のころ、落ち込んだときにいつも寝転がって読みふけったのがこの本です。若い女性主人公の、あり得ないようなスリルとサスペンスの冒険物語で、主人公と自分を重ね、時間を忘れて物語にのめり込みました。主人公のアン・ベティングフェルドは、父を亡くして天涯孤独の身になり、職探しをしている最中にロンドンの地下鉄ホームで、偶然隣にいた男が線路に転落して感電死するという不気味な事件に出くわします。それを皮切りに、次々と殺人事件に出くわし、ついには暗号の手紙に導かれてアフリカ行きの客船に乗り込み、事件の核心と関係のあるらしい「茶色の服の男」の謎を追いかけることになります。そして、いつの間にか危険な事件のど真ん中に飛び込むことになるのです。そこには、美しき堕天使ルシファーが彼女を待っていました。自分のあこがれの人が実は恐ろしい悪人であったというどんでん返し。アガサは、次々に魅力的な仕掛けを繰り出し、読者を物語に引き込みます。

物語のクライマックスは手に汗握る脱出ドラマで、主人公が危険から逃れるまでを一体となって体験することになります。それを読み終わるころには、落ち込んだ気分も出来事からもいつの間にか抜け出しているというのがいつものことでした。退屈な日常から抜け出したいときにおすすめの第一級の冒険物語です。長い冬の夜にどうぞ。

◆清水

 「趣味」をどのようなものと考えるかは人それぞれだと思いますが、「趣味」を余暇の過ごし方の一つ、とするなら、今の私に趣味はありません。スケジュールを見ると、仕事、家事、育児、休養(仮眠など)だけで、余暇と言える(思える)時間がない…。

読書もタイトルを見直してみれば仕事や研究関連のものがほとんど。しかし、日頃数分の隙間時間があれば読んでいた本がありました。珈琲関連の書籍です。
臼井 隆一郎「コーヒーが廻り世界史が廻る―近代市民社会の黒い血液』、中央公論社、1992
珈琲の発祥から説き起こす本書は、珈琲という「黒い液体」が、各国の宗教や歴史の細部にまで流れ込んでゆくさまが、それはそれは緻密に描かれています。「ちょっとお茶でも」の意味がこんなに違うなんて…と驚きますよ。これを読んで私が思い浮かべたのは、台湾の(実は)豊かな珈琲文化。(日本ではなかなか飲めないですが、「阿里山コーヒー」は有名。)ということで、最近は台湾珈琲文化の本を探しています。自身の専門とは全く関係ないけれど、何かしら仕事の一つにできれば…と思ってます。

【不定期企画】 教員による図書紹介(2)2016年11月

清水です。月1企画「教員による図書紹介」第二回です。

今月のテーマは、「研究のおもしろさ」です。

◆山東先生


Truman Capote (著) Breakfast at Tiffany's, ,Penguin Essentials,2011
大学3回生の時ゼミで読んだ洋書で、アメリカ英語に興味を惹かれるきっかけを与えただけでなく、1年後の留学に更なる希望を抱かせてくれた1冊です。原作は1958年発表ですが、オードリー・ヘップバーンが主役をつとめた1961年公開の映画もオススメ〜見終わった後は、思わずムーン・リバーを口ずさんでしまいます♪

口語・俗語がたくさん出てくるので、若干難しく感じるかもしれませんが、講談社英語文庫からは注釈つきのテキストが出ていますし、最近では村上春樹版の新訳もあるようです。学生時代に使用したテキスト・ノート・レポートも残していますので、興味のある方はお気軽に。


◆脇先生

いきなりですが、ひとつ懺悔を。実は「あなたの専門分野は?」という質問が苦手です。「語用論」とか「コミュニケーション論」などと答えてみるものの、いまだにしっくりきません。

もともと言語学を学んでいたはずの自分が、気づくと社会学の方法や概念も使っている…けれど興味の中心には常に「言語」が存在していて…すっかり分野の迷子です。私としては自分の問題意識と素直に向き合っただけなのですが、気づいたら言語学の王道から離れていたわけです。
 

“道を踏み外した”のはいつなのだろう、と考えてみました。分水嶺となったのは、この本でした。
菅野仁『ジンメル・つながりの哲学』 (NHKブックス)、NHK出版、2003

読んだ瞬間、「自分がやりたいのはこういうことだ!」と胸が躍りました。当時の私は、自分の興味が向かっている「これ」は一体何なのかという、漠然としているけれど非常に切迫したモヤモヤを抱えていました。自分の問題意識が明確になってきたのに、それを言語化できていなかったわけです。

正直なところジンメルについてはよくわからなかったけれど、「つながり」への思索は圧倒的に深まりました。この本から、より厳密に言えば菅野さんから(文章を通じてですが)受けた影響というのは絶大です。「言語」を武器にしてこの本で語られていることについて追究しよう…これが、今の研究の出発点でありゴールなのです。 


◆柳川先生

 「研究のおもしろさ」というテーマは、本を選ぶにはなかなか難しい。最もおもしろいと感じるのは、調査中の「大國家文書」だが、これに関しては残念ながら「本」が刊行されていない。学生時代に読んだ武家故実書や史料集を紹介しようか、とも思ったが、あまり共感を得られそうにない…
今谷明『戦国時代の貴族―『言継卿記』が描く京都』、講談社、2002
とりあえず、資史料のおもしろさに関連する本であれば、山科言継(やましなときつぐ)という貴族(武家服飾に関する論文を書いた際、随分お世話になった…)の日記を通して、戦国時代の社会や文化について記した『戦国時代の貴族-『言継卿記』が描く京都』などはどうだろうか。武将や合戦とは異なる戦国時代の一面が見えてくる。

近世に関連するものであれば、『近世人の研究-江戸時代の日記に見る人間像』。大名から町人、百姓まで、様々な身分の人が書き残した日記を紹介するとともに、近世の人々のモノの見かたや考え方を考察している。この中で取り上げられている朝日文左衛門の日記は『元禄御畳奉行の日記』で紹介され、一部は『摘録鸚鵡籠中記-元禄武士の日記』として活字化もされているので、近世人の「声」を聞いてみたい人はこちらもどうぞ。

ここまで長々書いて何だが、私にとっては「大國家文書」が一番おもしろい。いずれ論文集が刊行される(と思う)ので、その時は是非どうぞ、と最後に宣伝を。 


◆清水
宮崎市定『科挙ー中国の試験地獄』、中央公論新社(改版)、2003
直接の専門とは異なりますが、東洋史分野の名著、宮崎市定(みやざきいちさだ)『科挙-中国の試験地獄』を紹介します。学生の頃に本書を読んで、研究の「底力」や「凄み」を感じました。テーマは書名の通り、中国で1300年余り続いた科挙制度。時代も国も異なるのに、なぜそこまで詳細なことがわかるのか、どのような史料をどこまで読みこめばここまで書けるのかと感動しました。自分でもその感動を味わいたくて、日々史料や文献を読んでいるように思います。

本書には、制度や時代背景のみならず、当時科挙に関わった人々の生き方も克明に記されています。過酷な試験に耐えられず発狂する人、過去に誘惑して死に追いやった女性から祟られる人、カンニング(今も昔も変わらない?) でなんとか試験をパスしようとする人、など。

さて、科挙にパスするための試験勉強は過酷で、小さな頃から始まります。以下、その雰囲気をさらりと拾い上げた箇所を引用します。手始めに暗記するのは『論語』で、先生が読んだ後をひたすら繰り返すものだったそうです。

先生が、学而時習之(シエ・アル・シー・シー・ツ 学んで時に之を習う)と読むと、生徒がそのあとについて、シエ・アル・シー・シー・ツと大きな声をはりあげる。次に先生が、不亦説乎(ブー・イー・ユエ・フ また悦ばしからずや)と読むと、生徒も、ブー・イー・ユエ・フと読んで、これを何べんとなく繰り返す。しかし実際のところ、生徒は少しも悦ばしくないので、ついわき見をしたり、袖のなかで玩具をもてあそんだりしているのが見つかると、先生は遠慮なく叱ったり叩いたりする。(24頁)

子供にとって「おべんきょう」は少しも悦(よろこ)ばしくない…とは、いつの時代も変わらない?


◆古川先生
野崎綾子『正義・家族・法の構造変換−リベラル・フェミニズムの再定位』、勁草書房、2005
この本は、「家族と法」について研究することを、さらに深く意識したものです。

著書の野崎綾子は、弁護士から、法哲学研究者に助手に転身し、法学概論の原理問題と取り組む研究に進み、法哲学者としての活躍が期待されていましたが、32歳のときに途半ばで急逝しています。

近代以降、政治社会と家族は、公私二元論によりそれぞれ異なる原理が適用されるとしていましたが、第二波フェミニズムは、私的領域に女性の抑圧の原因があるとして、公私二元論を批判しました。これを契機に、著者は、政治の領域を支配する「正義」の原理が、家族の領域にも適用されるには、「正義」と「家族」・「親密圏」との関係をどのように捉えるのかという問題について考えたものです。少し難しいですが、読むと何となく著者の真摯な思いが伝わってきます。

◆重迫先生

丸山 圭三郎『ソシュールを読む』、講談社、2012
1983年出版の単行本を、おそらく1987年ごろ読んだはずです。他の著作とともに、言語に対する関心、想いを一気に高めてもらいました。詳しくはまた。


◆青木先生
宮澤賢治『注文の多い料理店』
出会い─賢治の世界へ

かねた一郎様 九月十九日あなたは、ごきげんよろしいほでけっこです。あした、めんどなさいばんしますから、おいでんなさい。とびどぐもたないでくなさい。山猫拝

鬱屈した高校生で会った私の心の扉をたたいたのは、こんなたどたどしい葉書の文句でした。

これは、宮沢賢治の童話集『注文の多い料理店』の巻頭の童話、「どんぐりと山猫」の冒頭に出て来る山猫からの手紙である。この手紙をもらった一郎は、小躍りして喜び、夜も眠れぬほど興奮した挙げ句、翌朝山猫を探しながら、山をさまようことになります。

高校生のころの私は思春期特有の万年憂鬱症とでもいうべき状態にありました。私は何かと自分の中にとじこもりがちで、心の居場所を探しあぐねていました。そんなあるひ、本棚の片隅で忘れられていた童話を読み返してみようと思ったのが、賢治との長い付き合いの始まりとなりました。そして、真っ先に私の心を捉えたのは『注文の多い料理店』でした。

山猫からの手紙は、一郎にも私にも、「心の世界」を開いてくれたのでした。そこには「にゃあとした顔」の山猫が待っており、「めんどなさいばん」についての意外な判決がありました。

このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのがいちばんえらい。

なんて愉快、痛快な言い切り。不機嫌で気難しかった私の心に、この逆さま言葉は飛び込んできました。賢治の童話は、当時の私にとって、アリスの「うさぎの穴」ではなかったかと思います。

それから、私は、新しく出版された『校本宮澤賢治全集』を全巻持って、大学に進学し、卒業論文を「銀河鉄道の夜」で書き、修士論文を「風の又三郎」の元になった「村童スケッチ」で書き、学位論文を詩集『春と修羅』などで書き、現在に至っています。高校の時であって以来、人生のかなりの時間をかけて、賢治と付き合うことになりました。
 


◆原先生
テーオドル・W. アドルノ『ミニマ・モラリア―傷ついた生活裡の省察』 、法政大学出版局、2009
哲学・社会学・歴史学・文学のいずれにも関心があり将来の専攻に迷っていた大学2年の時でした。大阪梅田にあった旭屋書店で、当時日本の近代思想を研究していたドイツ人講師と偶然出くわし、おすすめの本として紹介されたのが本書でした。まさに憑かれたように読みふけり、一読この思想家アドルノに心酔してしまったのです。思えばアドルノ自身、哲学・社会学・美学・文学のどの領域でも一流の仕事をした狭い専門の垣根を超えた学者でしたが、そのスタイルは今の私にも影響を与え続けています。

◆山川先生

眞念 稲田道彦(注釈)『四国徧禮道指南(しこくへんろみちしるべ)』、講談社、2015
江戸時代の真言宗僧眞念が、四国遍路に関わる旅行情報満載のガイドブックを書き記し、明治時代まで重版を重ねた超ロングセラー本で、民衆が四国遍路に出掛けるきっかけとなり、現在の四国遍路の基礎を築いたと言っても過言ではない本です。

今般、長年にわたって実地に歩きながら遍路研究をされてきた稲田氏により、本書が現代語の全注釈付きの文庫本として出版されました。単に遍路札所寺院の紹介だけではなく、近辺の地勢や町、史跡、当地の名物に至るまで盛りだくさんの情報が記され、江戸時代に庶民による四国遍路の隆盛を引き起こしました。旅行好きな人や四国遍路に関心のある人には必須本です。

【不定期企画】 教員による図書紹介(1)2016年10月

今月から、月1企画として「教員による図書紹介」を始めます(どこまで続くかわかりませんが)。毎月決まったテーマから各教員が選んだ図書を紹介していきます。紹介される本のジャンルはさまざま。本との出会いを楽しんでください。

今月のテーマは、「秋といえば」です。

◆重迫先生
『ユリイカ 平成28年2月臨時増刊号[総特集]江口寿史』、青土社
「秋といえば」秋でなくても一年中、本を読むのが仕事であり、趣味でもある人間文化学科の教員として、今読んでいる雑誌の特集号をご紹介します。原稿が書けなくなることで有名な漫画家、江口寿史は、寡作でありながら、日本のマンガ史上重要な作家であり続けています。彼の作品をマンガに限らず、広く深く研究した成果、あるいはその存在への愛あふれるコメント満載の特集です。「趣味から学へ」の実践の一記録として推薦いたします。


◆脇先生

秋といえば、「食欲の秋」ですかね。池波正太郎も捨てがたいところですが、「食」で思い出したのはこの一冊。
野瀬泰申.『天ぷらにソースをかけますか? ニッポン食文化の境界線』、新潮文庫、2009年
私はかけませんよ、ソースなんて。麺つゆのようなタレ(+大根おろし)が多い気がします。お店だと塩でいただくこともありますよね。少なくとも、ソースは、無い。作者が集めたデータによれば、きれいな東西対立が見られるそうで。ソースをかけるのは、西日本全域・・・ん? わが故郷の大分も約半数の人がソース派とのこと。そうなのか。

食文化も言葉も、地域差は非常に興味深い事象です。ですが、「おもしろ~い」だけで終わるのはあまりにもったいない。その差が何を意味するのか。どのように変化しつつあるのか(例:恵方巻)。なぜそのような変化が起きているのか。これらを考えることで、私たち自身/私たちの社会に鋭いメスを入れることができます。「日本」「日本人」が一様ではない(=なぜ一様だと思い込んでいるのか)ということを再認識するための良い事例でもありますね。

ちなみに、この本、続編があります。タイトルは『納豆に砂糖を入れますか?』。う~ん・・・そもそも納豆が嫌いなんですけどねぇ。


◆清水


金庸著、岡崎由美監修、小島瑞紀翻訳『秘曲 笑傲江湖』全7巻、徳間書店、2007年
若い頃に寝食忘れて「読書の秋」を満喫した記憶を辿ったところ、この本に。(今は寝食忘れると家族に怒られますので…) 金庸(きんよう)は中国の武侠小説作家で、絶大な人気を誇ります。以前、他の大学にいた頃、法学部の先生たちと飲みに行った時のこと。とある先生に、自分が中国語の授業を担当していると話したところ、

「僕、金庸の作品大好きなんだよ。面白いよね!」という話で盛り上がりました。

法学がご専門の先生だったので、「こんなところにも金庸ファンが…」と驚いた記憶があります。「武」は武術(実際は方術も含む)、「侠」は「男気、男伊達」。しかし全編通じて男臭い訳ではなく、めっぽうかわいらしい女性も登場します。…そういえば、男でも女でもない登場人物もいたような…。とにかく、魅力的なキャラクター達が作品世界を縦横無尽に暴れ回ります。翻訳も読みやすいと思います。


◆青木先生

島木健作、ユザンヌ、佐藤春夫『本』、ポプラ社、2010年

「本」に取り憑かれた男たち─オクターブヴ・ユザンヌ「シジスモンの遺産」

インターネット時代の読書はネット小説、電子書籍と、デジタル読書が拡がっていますが、実はそんな風潮をあざ笑うかのように、「本」の中では密かに「本」マニアが生き生きと活躍しているのです。そんな「本マニア」の代表的な一人が、オクターヴ・ユザンヌ(フランス生まれ、1852~1931)です。彼が書いた小説「シジスモンの遺産」(1894年作、短編集『愛書家たちの物語』所収)には、強烈に「本」を愛し、価値ある「本」を奪い合う二人の愛書家同士の、すさまじい争奪戦が描かれています。その愛書家は、主人公ギュマールとその愛書家仲間のシジスモンの二人です。その戦いは、シジスモンの死後まで、彼の蔵書を守るために彼が遺した遺言状によって続いていきました。

 そんな「本」マニアは、「古本道楽」、「愛書家」、「書物狂い」などと呼ばれ、「文学への関心とは別個に、書物をそれ自体独立したものとして観賞する、すなわちその外的形態、用紙、印刷、装幀などを愛で、もっぱらその造形的美しさ、稀少性、保存状態などに書物の価値基準を置く」者たちで、その「伝統は、他のいかなるヨーロッパ諸国よりもフランスにおいて特に顕著であり、根強く行きわたっている」とのことです(「フランスの愛書家たち」─アンドルー・ラング著『書物と書物人』に拠る)。

 つまり、この世に1冊しかないとか、有名なあの人が持っていたとか、有名な出版人が出版したとか、著名な画家が装丁したとか、本の内容もですが、その本の成り立ちにドラマのある本とでもいいましょうか、そういった「本」そのものへの愛に、生涯を、いえ命をかけた男達の物語です。しかし、その「本」への愛着は、現実の生活を捨てさせ、この世ならぬ「物語」の世界に没頭させます。多くの「愛書家」の物語は、「愛書家地獄」とか、「愛書家煉獄」といった名前の通り、主人公の愛書家たちが、本のために自らをなげうち、破滅へとつき進む、悲劇の物語でもあります。

この男達にとって、「本」は、自分の建てた城で日々その美しさを眺める美女のようなものだと書かれていますが、このような男達は、愛によっていき、子供を産み育て、現実の世界に豊饒をもたらす女性にとっては、敵(かたき)以外の何者でもありません。

 この小説では、シジスモンの婚約者でついに結婚の約束が果たされないまま58歳となり、シジスモンの死後はその遺産相続人として、遺言状に記されたとおり、蔵書をまもるべくその売り立てを一切禁じられたエレオノール嬢の、世の「愛書家」への復習の物語でもあります。シジスモンの蔵書を自分のものにしようと、その彼女との結婚を決意した46歳のギュマールは、本を破壊しようとするエレオノール嬢との激しい戦いの末、ついに結婚を果たしますが、その蔵書にはエレオノール嬢の秘密の企みがほどこされていたのでした。その企みとは? どうぞ、愛書家の最後を見届けて下さい。

 この小説の面白さは、シジスモンの蔵書が語られるなかで、「本」の歴史を知ることができることです。世界で初めて活字印刷された聖書は「グーテンベルク本」といい、現在世界に48部しかなく、その一冊は、慶應義塾大学が保存しています。どうぞ、本の世界へ。 


◆柳川先生

福田浩、松藤庄平、杉本伸子『豆腐百珍 』新潮社、2008年
青木直己『幕末単身赴任 下級武士の食日記 増補版』 筑摩書房、2016年
今から230年以上前の天明2年(1782)に出版された料理本『豆腐百珍』のレシピを再現したもの。タイトルのとおり、豆腐を使った100種類(!)のレシピが掲載されている。(ちなみに、『豆腐百珍』には続編があるので、正続合わせると200種類ということになる。)江戸時代の料理を再現した料理本は他にも出版されているので、一風変わった「食欲の秋」を楽しみたい人に。『幕末単身赴任 下級武士の食日記』なども併せて読むと面白い。


◆原先生

坂崎乙郎『絵とは何か』、河出文庫 2012年(新装版)
秋といえば、やはり芸術の秋でしょうか。美術館にでも足を運んでみたくなりますよね。そんな時に絵をどう視るかについていろいろなヒントを与えてくれるのが本書。平易なエッセイですが内容は決して軽くはありません。


◆山川先生
丹下和彦『食べるギリシア人ーー古典文学グルメ紀行』(岩波新書新赤版1360)、岩波書店、2012年
ホメーロスの英雄叙事詩の主役の1人アキレウスの味覚から、喜劇に見られる庶民のレシピ、饗宴(シュンポジオン)の作法や指拭きパンの話、古代トイレ事情まで興味深い内容が盛り沢山です。秋の夜長を、寝転びながら一読されるのも一興!


◆山東先生

Robert B. Parker (著) Early Autumn, Dell; Reissue版,1992
 スペンサー・シリーズ7作目でパーカーの代表作です。“洋書”と聞くと身構えてしまうかもしれませんが、ストーリーもさることながら、平易な英語で書かれているので、英語力UPにもうってつけです。秋の夜長、スペンサーと共に自分を見つめなおしてみませんか?(不安な人は、ハヤカワ文庫から邦訳『初秋』も出ていますので、合わせてどうぞ。)


◆古川先生

谷口真由美『憲法ってどこにああるの?』集英社、2016年