親譲りの無趣味で、子どものときから夢中になる「何か」があまりありませんでした。そんな僕にも寝食を忘れ、いや忘れませんが、かなりハマったものがあります。ひとつは歴史、もうひとつは音楽です。小学生~高校生の自分は重度の歴史オタクでした。が、時は移ろうもの。今でも好きではありますが、趣味と呼べるほどではないのです。
音楽は趣味です。間違いなく。大学生のときは、アコギをジャカジャカ弾いて隣から“壁ドン”を頂戴したことも。隣の人、ごめんなさい。というわけで、「趣味の一冊」というお題に応えるならこれかな、と。
rockin'on 2017年 01 月号 |
『ROCKIN’ON JAPAN』2017年1月 |
その「快感」が研究で味わえるようになったからか、今はまったく読んでいません。音楽は自分のために聞くもの。ようやく純粋な趣味になったのだと思います。
◆古川先生
『東京のパリ案内―パリジェンヌ気分でめぐる都内50スポット』六耀社、2010年 |
◆山東先生
Jonathan Maberry著,The X-Files: Trust No One,Idea & Design Works |
ペーパーバックだけでは物足りず、オフィシャルガイドブック・ マガジン・マップ、スクリーンプレイ、攻略本、CDなど、色々取り揃えています。興味のある方はぜひ研究室までどうぞ。
◆原先生
私は「趣味」という言葉が昔からどうも胡散くさくて気に入らない。真剣ではなくそこそこでいい、気散じの対象というイメージがつきまとっているからだ。仕事の補完物であり、どうでもよい退屈しのぎという意味での趣味など持ちたくもないし、「無趣味」で大いに結構と言いたい。
そもそも労働とその余暇にする趣味という近代ブルジョワ社会が体制維持のために都合よく生み出した二分法にどうしてこちらが従わなくてはならないのだろうか。仕事が苦痛としか感じられないのは不幸であり、疎外された労働を糊塗するためにあてがわれる余暇での趣味は、おのずから負の刻印を帯びざるをえない。それも無類の読書好きであり、それが昂じて仕事との見境がつかないほどになっている人文学研究者であればなおさらのこと、趣味と読書を同類に並べるには違和感を覚えざるを得ない。趣味などという甘い言葉ではなく、好奇心・興味をとことん突き詰めていくことこそ、人文学の醍醐味なのだから。
水木 しげる 『妖怪になりたい』 、河出文庫、2003 |
◆青木先生
アガサ・クリスティ『茶色の服を着た男』、東京創元社、1967 |
物語のクライマックスは手に汗握る脱出ドラマで、主人公が危険から逃れるまでを一体となって体験することになります。それを読み終わるころには、落ち込んだ気分も出来事からもいつの間にか抜け出しているというのがいつものことでした。退屈な日常から抜け出したいときにおすすめの第一級の冒険物語です。長い冬の夜にどうぞ。
◆清水
「趣味」をどのようなものと考えるかは人それぞれだと思いますが、「趣味」を余暇の過ごし方の一つ、とするなら、今の私に趣味はありません。スケジュールを見ると、仕事、家事、育児、休養(仮眠など)だけで、余暇と言える(思える)時間がない…。
読書もタイトルを見直してみれば仕事や研究関連のものがほとんど。しかし、日頃数分の隙間時間があれば読んでいた本がありました。珈琲関連の書籍です。
臼井 隆一郎「コーヒーが廻り世界史が廻る―近代市民社会の黒い血液』、中央公論社、1992 |