留学便り「人と国について考えてみる」-中国・貴州師範大学


現在、中国の貴州師範大学に留学中(一年間)の荒井賢くん(4年次生)から、現地の生活について書いてもらいました。貴州は北京や上海といった大都市とはまた異なる地方都市。住んでみなくては分からないことだらけ…。荒井君は何を考えたのでしょうか。

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皆さんこんにちは、荒井です。
貴州へ来てから早8カ月が過ぎようとしています。そうですね、ここでの生活は相変わらず慣れませんが、日本での生活も慣れていないので、慣れる慣れないは問題ではありません、というのが結論です。それよりも大切なことはたくさんありますから。
左側が荒井君です
ここへ来てから、たくさんの人から「日本人」ということで扱われました。私のことを日本人だと知ると急に態度を変えた人も少なくなかったです。どうでもいいじゃない、と思うのですが大抵の人間の関心はそこです。サンテグジュペリ著の『星の王子さま』に出てくる数字が好きな大人たちの描写を思いだいます。どうして大人になると、大抵はこの方向へと似通ってくるのでしょうか、不思議です。

さて、日本人です。
遠慮する、人情味が欠ける、おとなしい、無口、勤勉、真面目、礼儀正しい、掃除好き、南京大虐殺、尖閣諸島、などなど言われました。また日本について、アニメ、綺麗、桜、富士山、広島は原子爆弾が投下された、武士、たこ焼き、寿司、東京、大阪、京都、北海道、などなど言われました。

そうですね、それでもいいと思います。他人が思う日本人、日本で結構です。ただ、全体的な知識としていうことができることは、一般的な範囲だけです。そこには想像力を刺激させる資源はありません。

人と関わろうとするとき、大切なことはなんでしょうか。言葉での交流でしょうか。予備知識を前もって準備することでしょうか。気まずい空気にしないことでしょうか。

私は違うと思います。時間と手間を掛けることです。
よく、「言葉で意思疎通できないときどうする?ボディーラングウィヂ?」と聞かれたことがありました。今なら自信をもってこう答えます。「ひとまずあきらめて、次の機会に備える」。言葉はあまり重要なことではないのです。あ、でも、私が現在、外国語を身につけなければならない立場だということは、もちろん弁えています。心配は不要ですよ、先生方。

私たちは子どもだったとき、どうやって友達を作っていったのでしょう。どうやって世界を測っていったのでしょう。それを思い出せますか。手の届く距離で、あれこれ考えながら、生きていたはずです。

私はどうして、中国に留学することになったのかなあ、と考えると、あれやこれや思い浮かんでくることがありますが、一番の大きな理由は、中国を故郷とする友達ができたからです。なんとなく友達ができた。そこからその人たちが育った環境に興味が湧いてきた。多分このことは、私が現在貴陽にいる大きな原因です。
福大の留学生達と
でも、実際は中国なんてものはありませんでした。国を作っていった人たちがあるだけです。そんなの関係ないやという分野で生きている人もいます。広いですからね。

私たちは生まれる場所を選ぶことはできません。当たり前ですね。それなのに、どうして簡単に良いやつ、悪いやつ、と人を分けるのでしょうか。碌に関わってもいないのに、表面的な情報で知った気になって、他人を無意識に攻撃する人間に対して、私はたまに憤りをさえ感じます。

何の知識もなく関わったっていいじゃないですか。最初に会ったときは嫌だなって思っていた人が、半年か一年後になって、なんとなく気の許せる友人になるかもしれない。そこから、その人たちが育った身近な環境(家族とか友人とか先生とか海とか砂漠とか森とか)へ広げていくことだってできます。目の前の個人と、対等な相手として接する。これは、とても大切なことではないのでしょうか。

貴陽は風の流れる街です。寮の裏の方面に思賢山という山があって、私の住む部屋の窓からその森の様子を眺めることができます。たまにリスを見かけます。小鳥が毎日鳴いています。暖かくなってくると、小さな羽虫がたくさん出てきます。冬はたくさん雨が降りました。空が雲で覆われる日は少なくありません。